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やっぱり日本が大好きっ!「シーボルト事件」で国外追放されたシーボルト、なんと30年後に再来日していた!

やっぱり日本が大好きっ!「シーボルト事件」で国外追放されたシーボルト、なんと30年後に再来日していた!:2ページ目

30年を経て再来日

それでも彼は日本への関心を失わず、オランダ政府の後援で、日本研究の成果をまとめた研究書『日本』を七巻刊行します。彼はヨーロッパに日本を紹介するとともに、日本学の祖として名声を高めたのです。

さらにその後も日本の開国をうながすために活動し、なんと日本を訪れる直前の「黒船」でおなじみペリー提督とも接触しています。

その際、シーボルトは日本に関する資料を提供したうえで、軍事行動を起こさないように要請までしていたと伝えられています。

そして1858年(安政四)、日蘭通商条約が結ばれてシーボルトに対する追放令が解除されると、彼はさっそく翌年に再来日しました。

そして長崎に残していた妻と娘と、感動の再会を果たしています。

もっともこの時点で、彼はドイツ人女性と結婚して三男二女をもうけていますし、そもそも彼のせいで多くの人がかつて処罰を受けているわけです。いくら日本が好きとはいえ、再来日した際のシーボルトの心情やいかに、という感じではありますが……。

その後、彼は対外交渉のための幕府顧問に就任し、江戸へ上りました。

しかし、当時の江戸ではまだ攘夷論が盛んで、貿易や外務に関する彼の進言はほとんど採用されることなく、再来日から三年で失意のうちに帰国しています。

帰国から四年後の1866年には、ドイツのミュンヘンで死去。70歳でした。

現在、オランダのライデンでは、かつてのシーボルトの住居が資料館として公開され、彼の集めた二万点以上のコレクションが展示されています。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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