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【光る君へ】怨霊の祟りによって殺された藤原道長と明子の娘・藤原寛子。悲劇の生涯をたどる

【光る君へ】怨霊の祟りによって殺された藤原道長と明子の娘・藤原寛子。悲劇の生涯をたどる:2ページ目

怨霊によって生命を奪われる

しかし敦明親王には先妃の藤原延子(えんし/のぶこ)がいました。父親は左大臣の藤原顕光(あきみつ)です。

権力の絶頂を極める道長の娘が送り込まれてしまったら、とても太刀打ちできません。

あわれ延子は敦明親王に捨てられた形となってしまい、延子はほどなく失意の内に世を去ったのです。

「何ということだ……もはや何の望みも持てない」

顕光も娘を慰めるように世を去りますが、話はこれで終わりません。

「「おのれ道長、我らの怨み、晴らさでおくべきか!」」

藤原顕光と延子の父娘は怨霊となって化けて出て、その怒りを寛子に向けたのでした。

かくして万寿2年(1025年)7月9日、寛子は怨霊の祟りによって生命を奪われてしまったのです。

他にも道長の一族に次々と祟りをなしたため、人々は顕光を悪霊左府(あくりょうさふ。左府は左大臣の意)と呼んで恐れました。

なお母の明子はいまだ健在。愛娘を奪い去られた悲しみと怒りを、誰に向けたのでしょうか。

3ページ目 藤原寛子・略年表

 

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