徳川家康をも訓育した”黒衣の宰相”!今川家の繁栄に尽くした名軍師・太原雪斎の足跡を追う:2ページ目
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三国同盟も締結
ほかにも雪斎は、僧侶として加持祈禱を行うとともに、外交面でも義元の軍師として大きな働きをしています。それが甲相駿三国同盟の締結です。
今川氏は、義元が家督を継ぐ前は相模の北条氏と同盟関係にありました。ところが、義元が武田氏と結んだことで、北条氏とは敵対関係となってしまいます。
そこで雪斎が動き、武田信玄と北条氏康、そして義元の三者間を結びつけることに成功しているのです。
この甲相駿三国同盟が締結された結果、義元は背後を心配することなく、三河から尾張へと侵出していくことが可能となったのでした。
しかし、その今川氏黄金時代を築き上げたまさにその時、弘治元年(1555)閏10月10日、雪斎は亡くなっています。また、彼の助力を得て今川家の繁栄に尽力した今川義元が、雪斎の没後に桶狭間で戦死したのはご承知のとおりです。
今川義元を立派な戦国大名に育て上げた上に、天下人・徳川家康をも訓育した雪斎。また当時、関東では敵なしと言われた北条氏との敵対を避けるために、彼は同盟を計画して甲斐・相模・駿河による歴史的な三国同盟の締結をも果たしたのです。
これほどの軍師が、早く亡くならずに後世まで活躍していたら、その後の歴史も大きく変わっていたかも知れませんね。
参考資料:『歴史人2022年5月号増刊図解戦国家臣団大全』2022年5月号増刊、ABCアーク
画像:photoAC,Wikipedia
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