夏の国民的な風物詩「盆踊り」、実は江戸時代は規制が厳しく明治期はなんと禁止令まで発動されていた!:2ページ目
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なんでもありというわけではなく、お触書を確認すると
慶安2年(1649)おとり可申候、但喧嘩口論無之様ニ…..(踊りはよいが喧嘩口論はだめ)
延宝5年(1677)干、今おとり有之由ニ候、もはや時分も不相応の節に候間……(時節をすぎて踊らないこと)
貞享2年(1685)頃日町方にて寄合おとり候由相聞候、子とも之盆おどりなとは格別、其外町人寄合道辻にて往還をさまたけ….「子供の盆踊りは別として、町で踊るのは通行を妨げるので禁止)
元禄3年(1690)辻相撲辻おとり堅可停止「往来での相撲と踊りは禁止」
明暦3年(1657)20人の町横目が盆中の踊りを取締
寛文11年(1671)盆踊りは7月14日から16日までの3日間に限る
貞享2年(1685) 見物人は整然と見物することを命じるなど
まじかい!けっこう締め付けられているな…盆踊り。
長い歴史、風紀の乱れを危惧するお上と、それでも踊る楽しみを奪われたくない庶民とのたたかいが繰り広げられていた様子。
明治期に締め付けられた盆踊りですが、大正時代になると復興していきます。
昭和初期になるとレコードやラジオの開始などもあり、新しい民謡「新民謡」が大流行り。
あの定番曲「東京音頭」の大流行につながります。
東京音頭の元歌は、昭和7年に作成された「丸の内音頭」。昭和8年歌詞を一部変えて東京音頭と改作されて爆発的ヒットとなります。
なんと日比谷公園での東京音頭の祭りでは浴衣を切符代わりに開催されたことも。
最近も騒音対策でサイレント盆踊りなどがありますが、一年に一回ぐらいは気持ちよく踊りたいものですね。
参考:永井荷風 『墨東綺譚』、盆踊りの世界
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