実の息子を毒殺疑惑!戦国時代、“奥羽の鬼姫“の異名を持った「義姫」は本当に悪女だったのか?:3ページ目
息子を毒殺しようとした義姫
最後のエピソードは、天正18年(1590)の頃。
この頃は秀吉による小田原征伐が始まる頃で、義姫は次男の小次郎を当主に据えるために政宗を毒殺しようと計画しておりました。
しかし、失敗に終わった末に次男の小次郎が殺害されると共に自身は義光の元に逃げるという自業自得な末路を迎えてしまいました。
これは義姫にまつわる有名なエピソードで、この息子毒殺未遂事件を起こしたが故に、義姫は悪女との印象が広まったと言っても過言ではありません。
しかしながら、このエピソードは江戸時代の記録『治家記録』によるもので、信ぴょう性のある史料がないため、現代では全くの嘘だったと言われています。
また、義光の元に戻ったのは文禄3年(1594)の時であり、小次郎が殺害された後も2人の仲は悪化しておりませんでした。
そのことがわかるように、元和8年(1622)に最上家が内紛によって改易になると、行き場を失った義姫に政宗は居場所を提供しております。
ただ、小次郎は天正18年(1590)に死亡しておりますが、死因がわかる史料がないために未だ謎のままとなっています。
まさかの自作自演!?実母・義姫による伊達政宗 毒殺未遂事件、実は捏造されたものだった?
果たして義姫は悪女だったのか
3つのエピソードを紹介し、義姫について紹介しました。
エピソードからわかる通り、義姫は兄の義光を誰よりも気にかけ、子の政宗と良好な関係を築いた悪女とは程遠い人物であることがわかります。
男勝りな性格と政宗毒殺に関するエピソードで悪い印象が持たれがちですが、いつの日か義姫の本当の姿が周知されることを願うばかりです。
参考:火坂雅志『戦国を生きた姫君たち』2016年、KADOKAWA