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伊周・隆家兄弟の没落確定…誤解から放たれた矢が花山院に!大河ドラマ「光る君へ」5月12日放送振り返り

伊周・隆家兄弟の没落確定…誤解から放たれた矢が花山院に!大河ドラマ「光る君へ」5月12日放送振り返り:3ページ目

若狭に漂着した70名の宋人

長徳元年(995年)、現代の福井県西部にあたる若狭国へ、宋から70余人がやってきたそうです。

その中に商人の朱仁聡(浩歌)や見習い医師の周明(架空の人物。松下洸平)がおり、後にまひろたちと交流することになると言います。

恐らくは亡き直秀(毎熊克哉)たちのように、彼らとの交流がまひろに影響を与えることになるのでしょう。

はじめ若狭国には彼らを迎え入れる施設がないため、東隣の越前国へ移してはどうかという道長の進言を聞いたまひろは、父・為時に越前守(国司長官)を願い出るよう勧めていました。

これに対して為時は「自分には淡路守さえ過ぎた望みだ」と断ります。

しかし実際にはいざ淡路守の辞令が届くと、血の涙を流して(という文言の書状を送って)抗議したことにはふれないでおきましょう。

※朱仁聡について

紫式部の父・藤原為時とも交流を?平安時代に大陸から渡来した商人・朱仁聡とは【光る君へ】

時は長徳2年(996年)1月28日。花山天皇の出家からおよそ10年にわたる不遇を乗り越え、藤原為時(紫式部の父)は越前守に任じられました。越前とは現代の福井県に当たり、守は国司の長官です。よか…

※為時の再任官について

10年ぶりの再就職!しかし…なぜ紫式部の父・藤原為時は任官に抗議したのか?【光る君へ】

師貞親王(花山天皇)の教育係であったおかげで、六位蔵人・式部の丞となれた藤原為時(紫式部の父)。[caption id="attachment_217929" align="aligncent…

4ページ目 まひろが夢見た?科挙の現実

 

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