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斎藤一とは別人!幕末期、なんと56歳で新撰組に入隊した僧侶・斎藤一諾斎の生涯をたどる

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各地を転戦し、土方より餞別を賜わる

ともあれ甲陽鎮撫隊に入隊した斎藤一諾斎は、さっそく甲州勝沼で新政府軍を迎え撃ちました。

いわゆる甲州勝沼の戦いですが、ここで甲陽鎮撫隊は惨敗を喫してしまいます。

初陣から黒星となってしまった一諾斎。しかしここで挫けるようなタマではありませんでした。

ちょっと上手く行かなかったくらいで投げ出すなら、最初から加勢などしなかったでしょう。

甲州を離脱し、局長の近藤勇が処刑されてからも副長の土方歳三らと共に新政府軍へ抵抗。

宇都宮・会津と北上し(追い詰められ)ながらも果敢に戦い続けたのでした。

しかし仙台まで来たところで、蝦夷へは渡航せず新政府軍に投降します。

これは闘志が挫けたのではなく、土方から家族を託されたのではないでしょうか。

土方は一諾斎に対して30両の餞別を送っており、生きて土方家族の元へたどり着く路銀だったものと思われます。

自発的に投降すればこんなものは奪われてしまうので、やはり新政府軍の目をかいくぐるつもりだったのでしょう。

しかし懸命な逃走もむなしく、一諾斎は新政府軍に捕らわれてしまったのでした。

エピローグ・明治維新後

やがて戊辰戦争も終結し、それまで囚われていた斎藤一諾斎も釈放されます。

その後は武蔵国多摩郡中野村(東京都八王子市)に定住。土方・近藤の家族たちと交流を保ちました。

また明治6年(1873年)に生蘭学舎を開校、人々の教育活動に力を入れたそうです。

そして明治7年(1874年)12月18日、62歳でこの世を去りました。

土方・近藤家の人々は一諾斎の功績を讃えるために顕彰碑を建立したと言います。

墓所は保井寺(八王子市)にあり、今も世の行く末を見守っているようです。

終わりに

今回は斎藤一諾斎の生涯をたどって来ました。

明らかに斜陽の新撰組(甲陽鎮撫隊)に与したのは、近藤たちの心意気に感じたためでしょう。

武芸に秀でていなくても、仲間たちと志同じく闘い抜いた姿は、今を生きる私たちに勇気と感動を与えてくれるようですね。

※参考文献:

  • 『新選組銘々伝 一』新人物往来社、2003年7月
 

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