なんとシカの頭を75頭、ウサギを串刺し…諏訪大社で行われる謎の奇祭「御頭祭」はユダヤ教と関係?:3ページ目
出雲から逃げてきた諏訪氏vs土着民の守矢氏?
諏訪大社の創建は『古事記』によると
“建御雷尊(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫った際に、大国主命の次男の建御名方命が建御雷尊に戦いを挑んで阻止しようとした。しかし建御名方命は負けてしまい、諏訪の地まで逃れた”
ということで、この建御名方命の依り代とされたのが諏訪氏であり、代々「大祝(おおほうり)」と呼ばれる神職を世襲で務めて諏訪も明神の「現人神(あらびとがみ)」として崇敬されていました。
一方、守矢氏はいつごろから諏訪にいたのか始祖がはっきりしません。しかし古くからこの土地に住んでいたことは間違いなく、その証拠に地元の神話には洩矢神(もりやのかみ)が登場します。
出雲から諏訪に来た諏訪氏と争いをして負けて、国を譲る代わりに諏訪大社の祭祀を務めるようになったという伝説があります。この守矢氏は代々諏訪大社の神長官を務めており、現在も諏訪大社の近くに「神長官守矢史料館」があり、御頭祭の復元などを見ることができます。このことから、諏訪が現人神として祀られ、負けた守矢がその祭祀を行うという制服された図式にも見て取れますね。
守屋山がご神体のように記述している最古の文献は天文22年(1553年)の『上宮鎮坐秘伝記』で、
“古記に云はく、神の岩隠か、諏方国鎮座の処、宮社を造らずして、唯拝殿を之を建て、山を以て神体と為して之を拝す”
とあります。これだといかにも守屋山=ご神体というのは後付けのように捉えられてしまいますが、元々土着だった守矢氏の信仰や伝説が、諏訪大社のご神体だということになってしまって、混同されてしまったのでしょうか。
また、建御名方命そのものが守屋山に降り立ちて洩矢神となったと同一視する説もあり、どちらにしても興味深いものです。
また、諏訪大社の七不思議のひとつに「耳裂けの鹿」がありますが、供物に必ず耳の裂けた鹿がいるというもので、これはイサクの代わりに供物にした鹿のイメージではないかという説もあります。諏訪には山羊がいなかったので、代わりに鹿が捧げられたと考えられます。
しかしなぜ「75頭」なのでしょうか。新約聖書の「使徒行伝 第7章 14 節」に「ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた。」とあります。ヨセフは、あの生贄として捧げられたイサクの孫です。供物の数は、神のご加護により助けられたイサクから枝分かれして増えた親族数なのかもしれません。
そもそもユダヤ人は紀元前にローマに敗れてから、あらゆる地に離散した民族。迫害された一派が流れに流れて日本にやってきて留まり、自分たちの信仰の依り代として山を「モリヤ」と名づけ、祭りを行っていたとしても不思議ではありません。
ちなみに守矢氏の家紋は十文字。まるで十字架のようです。また守屋山には「十文字岩」「鬼ケ城」などの名前の付いた奇岩がありますが、筆者が昔調べたところ「鬼」と呼ばれる場所は渡来人ゆかりの場所が多いのですよね。十字架はキリスト教の象徴なので、ユダヤ人ではない渡来人なのかもしれません。
これらが全くの偶然なのか、否か。謎は尽きることはありません。