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日本初の従軍記者はマルチ・プレイヤー。実業家、教育者としても活躍した岸田吟香(ぎんこう)とは【前編】

日本初の従軍記者はマルチ・プレイヤー。実業家、教育者としても活躍した岸田吟香(ぎんこう)とは【前編】:2ページ目

さらに1870(明治6)年には、「東京日日新聞」に招かれ、文筆家としては、健筆を振るうことになります。

吟香の記事は評判だったようで、翌71年、日本が台湾に出兵することが決まると、西郷従道の率いる軍隊に従って、取材に赴きました。これが、日本における初めての従軍記者です。

『台湾従軍記』を連載、読者の好評を博しますが、6500人の日本兵は、戦果をあげる前にマラリアに感染して立ち往生となってしまい、華々しい記事というわけにはいかなかったようです。

「精錡水」はこの頃、「東京日日新聞」の紙面に新聞広告をうち、大いに売り上げに向上します。これは新聞広告の商業的活用の嚆矢となりました。

吟香は帰国すると新聞事業から退き、1877年8月に「東京日日新聞」の発行所である日報社を退社して9月銀座に楽善堂という店を開き、売薬業に専念するようになります。

↓【後編】につづきます。

日本初の従軍記者はマルチ・プレイヤー。実業家としても活躍した岸田吟香(ぎんこう)とは【後編】

前回の記事はこちら:[insert_post id=215659]銀座で店を出した吟香でしたが、これまた大盛況。なんと、3年後には中国に渡り、既に、精錡水の取次所を設置していた上海で、本格的な…

参考

  • 杉山栄『先駆者 岸田吟香』(1952 岸田吟香顕彰会)
  • 杉浦正『岸田吟香:資料から見たその一生』(1996  汲古書院)
  • 秋山勇造 『明治のジャーナリズム精神』 (2002 五月書房)
 

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