戦よりも鷹狩りが好き♡本多忠勝も「いい加減になされ!」と呆れた徳川家康の熱中ぶりがコチラ
徳川家康と言えば、質実剛健を絵に描いたような堅物で、あまり趣味がなかったイメージが強いですよね。
好奇心は旺盛だったようですが、その多くは特に入れ込むほどではなく、目新しいものはとりあえず何でも試してはみると言った具合でしょうか。
そんな中、鷹狩りだけは大層な入れ込みようで、時には家臣たちを辟易させるほどだったそうです。
という訳で、今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、徳川家康の鷹狩りエピソードを紹介したいと思います。
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猿楽や囲碁将棋などは今ひとつ
……なべてえうなき御遊戯は。このませ給はざりしが。時としては申楽を御覧じ。あるは囲碁将棋などもて。御消閑にもてあそばれし事もありしかど。ふかく御心とめられしにもあらず。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十四
【意訳】あまり実益性のない趣味は好まない家康でしたが、たまに猿楽などをご覧になることがありました。
あるいは囲碁や将棋なども暇つぶし程度にやることはあったものの、深く入れ込むほどではなかったのです。
しかし鷹狩りだけは大ハマり
……たゞ鷹つかふことばかりは御天性すかせられ。御若年より御年よせらるゝまで。いさゝかもいとまある折は。かならず出立せ給ふことなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十四
【意訳】そんな家康が、鷹狩りだけは心底好いていました。若いころから晩年まで、少しでも時間があれば鷹狩りにいそしんだものでした。