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日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】

日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【前編】:2ページ目

第一次桂内閣の成立

その後、彼は日清戦争で名古屋の第三師団を率いて出征し、戦後は台湾総督陸軍大臣へと上り詰めていきます。彼のこうした出世には、もちろん山縣有朋の力添えがありました。

第一次大隈内閣と第二次山縣内閣では、陸軍大臣を務めるとともに山縣の参謀格としても手腕を発揮。1900年に発生した義和団の乱では中国に軍を出兵させました。しかし動乱終結後は複雑な国際関係の中での出兵と国内の政争から心労を患い、転地療養に入っています。

10月には第四次伊藤博文内閣が成立したものの、伊藤が総裁を務める立憲政友会(以下政友会)とは反りが合わず辞任しています。それからしばらく政界からは距離を置きました。

そんな桂が内閣総理大臣に就任したのは、第四次伊藤博文内閣が退陣したのがきっかけでした。長州閥に属しており、当時力を持っていた山縣有朋の派閥でもあったことから推薦され、1901年6月2日に第一次桂太郎内閣が成立します。元老ではない首相は初めてで、政府の世代交代の象徴になったと言えます。

この第一次内閣の大臣たちは山縣系官僚か、あるいは小村寿太郎のような初閣僚ばかりだったので「第二流内閣」「小山縣内閣」「緞帳内閣」「次官内閣」などと揶揄されました。さんざんな評価ですが、今改めて第一次内閣の顔触れを見ると清浦圭吾・曽禰荒助・小村寿太郎など錚々たる顔触れで、逆に山縣有朋の人材発掘のうまさが伺えます。

桂内閣成立時の懸案事項としては、内政では財政の鞏固化・商工業のさらなる発展が挙げられ、また外交では海軍拡張・英国との協定の締結・韓国の保護国化が課題でした。遅い早いの違いはありましたが、これらの課題はきちんと解決しています。

【中編】では、最大の試練である日露戦争を乗り切って「桂園時代」を築くまでの流れを解説します。

【中編】はこちらから

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年

 

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