参考にしちゃダメ!?財政難に陥った薩摩藩の驚くべきブラックな藩政・経済改革【前編】:2ページ目
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借金を余儀なくされる
さて、こうした背景もあって、薩摩藩は次第に財政難に陥っていきました。その一方で領内では農村部の荒廃や農民の逃散が進み、農業生産力や年貢収入は低下していきました。
薩摩藩といえば琉球貿易で利益を上げたとか、軍事的に大きな力を持ったことから幕末期の倒幕運動に寄与したとかいうイメージがあります。しかしそれは後年のイメージであり、最初はこんな状態だったのです。
また、商品作物や交易などで得られる収入も不安定であり、経済活動も閉鎖的だったため、もはや藩としては大坂の豪商や金融業者から高利子で借金をするしかありません。
その利子は年利で10%~20%に及んだとされ、これは当時の一般的な利子率の2倍から4倍でした。その結果、借金は利子だけで膨らんでいき、文政11年(1828年)には500万両に達したのです。
この借金問題を解決するため、薩摩藩は抜本的な藩政改革と、領内の経済活動の活性化を試みます。【後編】ではその詳しい内容を解説します。
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