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山県昌景の生まれ変わり?徳川家臣・本多信俊の息子に表れた“吉兆”とは【どうする家康】

山県昌景の生まれ変わり?徳川家臣・本多信俊の息子に表れた“吉兆”とは【どうする家康】

戦国時代、天下に武名を轟かせ、甲斐の虎と恐れられた武田信玄(演:阿部寛)。多くの名将たちがその活躍を支えた中で、筆頭とされたのが山県昌景(演:橋本さとし)。

武田の代名詞となった精鋭部隊「赤備(あかぞなえ)」を率いて数々の武勲を重ねる雄姿は、敵味方を問わず武士たちの憧れでした。

「我らが神の君」こと徳川家康(演:松本潤)もそんな一人だったらしく、今回はこんなエピソードを紹介したいと思います。

兎缺は生まれ変わりの証し

……甲州士の内にも山縣三郎兵衛昌景が武略忠節は。わきて御心にかなひけるにや。一年本多百助信俊が男子設けしに。兎缺なればとて心に應ぜぬよし聞しめし。そはいとめでたきことなり。信玄が内の山縣は大なる兎缺なり。かの魂精の抜出て   當家譜第の本多が子に生まれ来りしなるべし。大切に養育すべしと仰つけられ。其子の幼名をも本多山縣とめされ。   台徳院殿の御伽にめし加へらる。……

※『東照宮御実紀附録』巻三「家康感山縣昌景」

「おう百助(ひゃくすけ、本多信俊)。そなた男児が生まれたそうじゃな、おめでとう」

「え……あ、はい。ありがとうございます」

「何じゃ、せっかく跡継ぎが生まれたのに、浮かぬ顔はどうした事じゃ」

「それが、実は……」

聞けばその男児は兎缺(みつくち。兎唇)とのこと。

上唇の接合が未熟で兎のように裂け、それが三つの口に見えるから三ツ口と呼ばれたのでした。

現代なら施術すれば簡単に治りますが、外科手術の未発達な当時であれば、こうした子供は神仏の祟りなど不吉と信じられたのです。

2ページ目 ……それで浮かぬ顔をしておったのか

 

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