お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち:4ページ目
生家の伊達家と戦った二階堂阿南
二階堂阿南(おなみ)は伊達政宗の祖父・伊達晴宗の長女です。須賀川城主・二階堂盛義に嫁ぎ、長男の盛隆と次男の行親を産みます。
盛隆は永禄8年(1565)に蘆名盛氏に敗れたため、蘆名家の人質となっていました。
しかし天正3年(1575)、盛氏の後継に当たる蘆名盛興が亡くなったことで、盛隆が蘆名家の当主に。以後、蘆名盛隆として生きることになりました。
一方、二階堂家では天正9年(1581)に盛義が翌年には行親が亡くなります。そのため、阿南が須賀川城の城主となりました。加えて、盛隆が暗殺される悲劇にも見舞われました。盛隆の死は男色関係のもつれが原因と言われています。
盛隆の死により衰退した蘆名家は、天正17年(1589)の摺上原の戦いで滅亡。甥の伊達政宗より降伏を薦められますが、阿南は徹底抗戦の構えを見せます。
そして、同年に伊達郡によって須賀川城は落城しました。その後は、甥の佐竹義宣の元へ身を寄せました。
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