お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち:3ページ目
父親顔負けの武勇を持つ立花誾千代
立花誾千代(たちばな-ぎんちよ)は、永禄12年(1569)に生まれます。父親は37回の戦で一度も負けたことのない猛将・立花道雪です。
父親譲りの勇猛さを受け継ぎ、かつ跡継ぎの男子がいなかったので、天正3年(1575)に立花城の城主となりました。この時誾千代は7歳。それほど期待されていたことがうかがえます。
天正9年(1581)になると、誾千代は同い年の宗茂と結婚しました。宗茂は立花性を名乗ったので、立花城の城主は宗茂に譲られました。
また、誾千代は女性ながら武勇に長けており、様々な逸話が残っています。それの代表として、関ヶ原の戦いで甲冑を着用し、出陣した話があります。
この話には続きがあり、誾千代は侍女にも武装させ、鉄砲隊を率いて加藤清正の進軍経路を変更させる功績を残しました。
他には文禄・慶長の役で宗茂が不在の間、誘ってきた豊臣秀吉に対して侍女に護衛として鉄砲を構えさせ、自らは武装して秀吉のもとに乗り込み、拒絶した話も残っています。