お田鶴の方だけじゃない!”おんな城主” として戦国乱世を生きた6人の女性たち:2ページ目
城の者を守るために武田に下ったおつやの方
おつやの方は織田信秀(織田信長の父)の妹で、信長とは叔母の関係に当たります。おつやの方は、岩村遠山家の遠山景任(とおやま-かげとお)に嫁いでいましたが、元亀3年(1572)に病死。跡継ぎに信長の五男・御坊丸(後の織田勝長)を派遣しました。
御坊丸はまだ幼かったこともあり、おつやの方が岩村遠山家の居城・岩村城の城主となりました。
しかし、同年に武田信玄が西上作戦を決行。岩村城は武田家家臣の秋山虎繁(あきやま-とらしげ)に包囲されました。おつやの方は信長に救援を送りますが、武田家の対応で忙しく、救援を送れない状態でした。
結果、おつやの方は岩村城の兵や民を守るため、虎繁の条件に従い結婚。岩村城は武田家の傘下に置かれました。この時、御坊丸は人質として甲斐に送られています。
そして天正3年(1575)、武田軍が長篠の戦いで織田・徳川連合軍の前に敗北すると、信長の嫡男・織田信忠が岩村城を包囲しました。
兵糧攻めにより、おつやの方と虎繫は窮地に陥ります。ついには、抗戦虚しく織田軍に降伏しました。
この戦いは岩村城の戦いといわれ、降伏したおつやの方と虎繫は逆さ磔の極刑に処されました。処刑の際におつやの方は、「叔母を殺すとは非道の行い。必ず因果応報を受けることになるぞ。」と叫びながら刑を受けたといわれています。