実際には不仲だった!徳川家康と瀬名姫の意外な夫婦仲と悲運な結末【どうする家康】:3ページ目
徳川家臣に暗殺される
信長は12か条の訴状の真偽を問うため、家康の重臣・酒井忠次を召喚しました。忠次は訴状の内容を否定しなかったため、全て事実であることが認められます。
そして、天正7年(1579)8月に瀬名姫は二俣城への護送中、道中にあった佐鳴湖の岸で、徳川家家臣の岡本時仲と野中重政により殺害。後を追うように同年9月、二俣城に幽閉されていた信康は自害しました。
瀬名姫38歳、信康21歳と、2人とも若くして命を散らしました。
最後に
瀬名姫の最後は家康との不仲が生んだ悲劇といっても過言ではないでしょう。もし、不仲でなかったらと考えると違った運命だったのかもしれませんね。
『どうする家康』では2人は仲良しで物語が進んでいるので、どのように不仲になっていくのか気になるところです。かなり悲劇的な終わりを迎えるとは予想しています。
参考:黒田基樹『家康の正妻築山殿-悲劇の生涯をたどる』平凡社新書、2022年