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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 大河ドラマではどう描かれる?徳川家康の最期を『葉隠』はこう伝えた【どうする家康】

大河ドラマではどう描かれる?徳川家康の最期を『葉隠』はこう伝えた【どうする家康】

一方の『徳川実紀』では膝枕の最期

以上が『葉隠』の伝える家康の最期。一方、江戸幕府の公式記録である『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』ではどう伝えられているのでしょうか。

……四月十六日納戸番都築久大夫景忠をめし。常に御秘愛ありし。三池の御刀をとり出さしめ。町奉行彦坂久兵衛光正に授けられ。死刑に定まりしものあらば此刀にて試みよ。もしさるものなくば。試るに及ばずと命ぜらる。光正久大夫と共に刑場にゆき。やがてかへりきて。仰のごとく罪人をためしつるに。心地よく土壇まで切込しと申上れば。枕刀にかへ置とのたまひ。二振三振打ふり給ひ。剣威もて子孫の末までも鎮護せんと宣ひ。榊原内記清久に。のちに久能山に収むべしと仰付らる。……

……十七日すでに大漸に及ばせられんとせしとき。本多上野介正純めして。将軍家早々渡らせ給へと仰られしが。またそれに及ばずとの上意にて。わがなからん後も。武道の事いさゝか忘れさせ給ふなと申上べしと宣ふを御一期とせられ。清久が膝を枕としてかくれさせ給ひしとぞ。……

……また東国の方はおほかた普第のものなれば。異図あるべしとも覚えず。西国のかたは心許なく思へば。我が像をば西向に立置べしと仰置れ。かの三池の刀も。鋒西へむけて立置れしとなり。……

※『東照宮御実紀附録』巻十七「家康薨去」

血がそのままかはともかく、罪人を斬った刀を自分と共に葬り、その鋩を西へ向ける点は同じですね。更に西国へ睨みを利かせるべく自分の像を作らせました。

余談ながら榊原清久(さかきばら きよひさ)は榊原康政(演:杉野遥亮)の甥に当たり、平素から家康に寵愛されていたと言います。

最期は余多いた側室たちではなく、お気に入りの側近に膝枕してもらっていた家康。NHK大河ドラマ「どうする家康」ではこのシーンをどうする(描く)のか、今から楽しみですね。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、1941年9月
  • 『徳川實紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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