「鎌倉殿の13人」ばかにするな!坂東武者を奮起させた尼将軍の怒り。第47回放送「ある朝敵、ある演説」振り返り:4ページ目
押松の正体と院宣8名
さて、隙あらば義時を追い落とそうとしていた三浦義村(演:山本耕史)に、突如として舞い込んだ大義名分。宗政とコンビで次の一手を探りますが、形勢不利と見てたちまち宗政も裏切って抜け駆けしました。
真っ先に院宣を差し出すことで忠義をアピールする義村、抜け駆けされた宗政は割を食ってしまいます。
義時追討の院宣を受け取った8名。画面を見る限り、以下の通りでした。
一、武田五郎殿(武田信光)
一、宇津宮入道殿(宇都宮頼綱)
一、相模守殿(北条時房。演:瀬戸康史)
一、小山左衛門尉殿(小山朝政。演:中村敦)
一、小笠原次郎殿(小笠原長清)
一、(※義時の後頭部で見えず)
一、(※同じく見えないが、劇中の言及により長沼宗政と判る)
一、駿河前司殿(三浦義村)
最初は「自分を名指しで見込んでくれた!」とばかり内心喜んでいた義村でしたが、実は他の者にも配られていたと知った時の表情が絶妙でしたね。
かなり昔の話ながら、かつて源頼朝(演:大泉洋)が挙兵の前に御家人たち一人々々を呼び出して「そなただけが頼りだ」と打ち明けたエピソードを思い出します。
せっかくなので、名前の出ていた本編未登場の御家人たちについてざっと紹介。
- 武田信光……甲斐源氏の棟梁・武田信義(演:八嶋智人)の嫡男。和田合戦などで活躍。
- 宇都宮頼綱……下野国の豪族で、小山朝政とは義兄弟の関係。和歌にも堪能。
- 小笠原長清……信光の従兄弟に当たり、弓の名手。息子に小笠原長経(演:西村成忠)。
残り一名は果たして誰なのか?『吾妻鏡』などには記録がないので想像の域を出ませんが、誰が後鳥羽上皇に見込まれていたのか、色々考えてみると面白いですね(千葉氏か八田氏か、それとも……)。
ちなみに、院宣を御家人たちに届けて回っていた押松(おしまつ。押松丸)。お察しの通り、平知康(演:矢柴俊博)と同一人物というのは大河ドラマの創作。
(恐らく演者さんの都合でしょうが、久しぶりに会えて個人的には嬉しかったです。特に飯を掻っ込みながら「鎌倉はいいなぁ」のセリフとか)
実際の押松は藤原秀康に仕えた従者。義時に捕らわれて院宣の返書を渡され、朝廷へ持ち帰りました。てっきり降伏するとばかり思っていた後鳥羽上皇らは、鎌倉の戦意に震え上がったそうです。