「鎌倉殿の13人」ついに鎌倉殿の鎌倉離れ?愛想を尽かした義時は…第44回放送「審判の日」振り返り:3ページ目
実朝、京へいく?
頼仁親王を養子に迎える準備を着々と進める実朝。この際だからと義時に京都へ御所を移す計画を明かしましたが、ご自分で何を言っているのか分かっていますか?
この前「鎌倉を源氏の手に取り戻す」と言って、今回も劇中で公暁にもそう言っていました。それなのに自身は京都に行くって、鎌倉を取り戻すのは公暁に丸投げ=勝手にやれという事なのでしょうか。
そもそも、鎌倉殿を鎌倉殿たらしめているのは鎌倉にあって坂東武者たちに君臨しているからです。この武家政権を確立するためにどれほどの血が流れたか、知らないとは言わせません。
東国に武家政権を樹立するまでの歴史や鎌倉殿の使命や存在意義などは、鎌倉殿として必修科目ではないでしょうか。
また源頼家(演:金子大地)暗殺については、遠く京都で慈円(演:山寺宏一)が日記『愚管抄』に書いているほどですから、ほぼ周知の事実だったのでは(今さら知ったみたいな演出に違和感を覚えました)……?
入浴中は要注意!源頼家だけじゃない、お風呂が命取りになった源氏の者たち【鎌倉殿の13人】
元久元年七月十八日ニ。修禅寺ニテ又頼家入道ヲバ指コロシテケリ。トミニエトリツメザリケレバ。頸ニヲヲツケ。フグリヲ取ナドシテコロシテケリト聞ヘキ。トカク云バカリナキ事ドモナリ。イカデカイカデカソノムクイ…
確かに義時はじめ北条のせい(に見えるこれまでの経緯)で多くの血が流れてきたのは確か。うんざりする気持ちがわからないことはないものの、あなたはその結果として鎌倉殿の座にあるのです。
決して北条だけが悪いのではなく、御家人たちがそれぞれ生き延びるために権力を求め争い、ただ義時が勝ち残っただけのこと。
だから「いつだって私たちは正しかった」のです。仮に正しくなかったとしても、それで滅びては元も子もありません。
北条が生きる地は鎌倉をおいてなく、鎌倉を捨てようとする鎌倉殿など、もはや愛想が尽きたと口にする義時の気持ちは共感できます。
ちなみに『吾妻鏡』などの史料には、実朝が京都へ御所を移そうとした事実や意思は記されていないのでご安心ください。実朝の心は、最期まで鎌倉と共にありました(そのはずです)。