なんと妊娠中の妻を差し出して下剋上を目論んだ、戦国時代のクズすぎる侍による「小姓騒動」:2ページ目
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濡れ衣を着せられた義英
松賀族之助は自身の子を次期藩主にするため、藩主候補の次男・義英をお酒や女性で惑わす酒色で堕落させようと計画しますが、失敗に終わります。
そこで、松賀族之助は、内藤義概に対して「義英が義孝(三男)を殺して、自分が跡継ぎになろうとしている」などと、次男・義英のあることないことを告げ口したのです。
松賀族之助の言葉を鵜呑みにした内藤義概は義英を自宅での謹慎処分にし、家督相続権を失わせる廃嫡をおこないました。
小姓騒動
義英が廃嫡され1685年には内藤義概が死去しますが、松賀族之助の目論見どおりにはいかず、三男・義孝が磐城平藩4代目藩主となってしまいます。
そこで松賀族之助は、乗っ取り計画を頓挫させた邪魔者・義孝の暗殺を計画。義孝を葬ることには成功したものの、権力を意のままにして横暴に振舞ったため小姓衆らの反感を買ってしまったのです。
ついには、松賀族之助の腹心である山井八郎右衛門夫婦が殺害され、計画は中止。下剋上は、失敗に終わったのでした。
これら一連の事件は、「小姓騒動」とよばれています。
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