女性スキャンダルで勘当!?北条義時と比奈の子供「北条朝時」の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】:4ページ目
エピローグ
その後、承久3年(1221年)に勃発した承久の乱では北陸道の大将軍として上洛。勝利の後は北陸諸国の守護職を務めます。
元仁元年(1224年)に父・義時が亡くなると六波羅探題として在京・不在であった泰時に代わって弟たちと共にその葬儀を執り行いました。
その後、異母弟・北条政村(まさむら)との後継者争い(伊賀氏の変)を制した泰時が鎌倉幕府の第3代執権に就任すると朝時はこれを補佐。
嘉禎2年(1236年)9月に幕府の評定衆(ひょうじょうしゅう。新「鎌倉殿の13人」的な合議制メンバー)に加えられますが、間もなく辞退して幕政から遠ざかります。
仁治3年(1242年)に泰時が病のため出家すると、朝時も共に出家して生西(しょうさい)と号しました。出家の理由は不明ですが、一説には泰時の死に乗じて謀叛の噂が立ったからとか。
そして寛元3年(1245年)4月6日、53歳で亡くなったのでした。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には登場するか分かりませんが、是非とも登場して欲しい北条朝時。もし出てくるならどんなアレンジがなされるのか、誰がキャスティングされるのか楽しみですね!
※参考文献:
トップ画像:NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式ページより