女性スキャンダルで勘当!?北条義時と比奈の子供「北条朝時」の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】:3ページ目
和田合戦で豪傑・朝比奈義秀に挑みかかる
建暦3年(1213年)5月2日、かねて義時との対立を深めていた和田義盛(演:横田栄司)がついに挙兵。鎌倉を火の海にする合戦が繰り広げられました。後世に伝わる「和田合戦」です。
「おい次郎。もう謹慎はいいから帰って来い!人手が足りないんだ!」
「ぃよっしゃあ!」
鎌倉へ連れ戻された朝時は、さっそく前線に投入。かの猛将・朝比奈三郎義秀(あさひな さぶろうよしひで。和田義盛の子で、一説には巴御前が母親)を相手に奮戦しました。
この義秀は素手で鰐(サメ)を捕らえたとか、一晩で山をぶち抜いた(それが現代の朝比奈切通し)とか、とかく桁外れの怪力自慢。
……酉剋。賊徒遂圍幕府四面。摩旗飛箭。相摸修理亮泰時。同次郎朝時。上総三郎義氏等防戰盡兵略。而朝夷名三郎義秀敗惣門。乱入南庭。攻撃所籠之御家人等。剩縱火於御所。郭内室屋。不殘一宇燒亡。……
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)5月2日条
「門が……破れるぞ!」
「でりゃあ!」
※建築様式が完全に近世のものですが、崩れ落ちる瓦やへし折られた閂(かんぬき)が躍動感を生むと共に、門を破られた北条勢の動揺がよく表現されています。
ガラガラガラ……御所の惣門(正門)もぶち破って和田勢は南庭へ乱入。一時は将軍の身さえも危ない状況に追い込まれたとか。
「ここで逃げたら北条の名折れ。いざ尋常に勝負しやがれ!」
朝時はここが名誉挽回の好機と心得、命懸けで義秀に立ち向かいました。
……相摸次郎朝時取太刀。戰于義秀。比其勢。更雖不耻對揚。朝時主逢蒙疵也。然全其命。是兵略与筋力之所致。殆越傍輩之故也。……
※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)5月2日条
「面白ぇ、相手してやらぁ!」
太刀をとって義秀に斬りかかった朝時ですが、ここで手傷を負ってしまいます。命からがら逃げ延びたのは、すぐれた兵略と筋力のゆえだとか。
「大丈夫か!」
「あぁ、これで将軍家もお赦し下さろうか……」
果たして和田一族は鎮圧され、朝時は武勇の甲斐あって御家人の列に復帰を果たしたのでした。