女性スキャンダルで勘当!?北条義時と比奈の子供「北条朝時」の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】:2ページ目
女性スキャンダルで勘当される
朝時は将軍家にお仕えしている女官・佐渡守親康女(さどのかみ ちかやすのむすめ)に一目惚れ。さっそく艶書(えんしょ。ラブレター)を送りますが、まったく脈がありません。
「父上だって、一年以上も粘り強くストーk……もとい情熱的にアプローチして母上をゲットしたのだから、ここで諦めてなるものか!そう、誰かさんも『色恋はフラれてからが本当の勝負』とか言っていた気もするし!」
※義時が姫の前をゲットしたエピソードはコチラ:
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前
まったく血は争えず、思い立ったら即実行……ということで朝時は深夜、御所に忍び込んで佐渡守親康女を誘い出したのでした。
【問】その気がないのに、なぜ朝時の誘いに乗ったんですか?
【答1】彼の目があまりに怖くて、拒否したら何をされるか分からなかったから……
【答2】ちょっと怖かったけど、そこまで自分を愛してくれたことがわかって、満更でもなかったから……
答えがどっち(あるいは他の理由)かはともかく、朝時による夜這い事件はたちまち発覚、実朝は大激怒です。
「うちの愚息がすみません。コイツは勘当(義絶)の上で駿河国へ追放します!」
義時は朝時を絶縁し、駿河国富士郡(現:静岡県富士市・富士宮市)で謹慎させたのでした。
……相摸次郎朝時主依女事蒙御氣色。嚴閤又義絶之間。下向駿河國富士郡。彼傾公。去年自京都下向佐渡守親康女也。爲御臺所官女。而朝時耽好色。雖通艶書。依不許容。去夜及深更。潜到彼局。誘出之故也云々。
※『吾妻鏡』建暦2年(1212年)5月7日条
【意訳】相模守(義時)の次男である朝時は、女がらみの不祥事で将軍家の怒りを買った。嚴閤(げんこう。偉い人、ここでは義時を指す)は朝時を勘当し、駿河国富士郡で謹慎させた。
その女とは建暦元年(1211年)に京都から下って来た佐渡守親康の娘。傾城の美女であり、御台所(実朝の正室。坊門信清の娘)に仕えている。
朝時は色恋に狂って艶書を出すも相手にされなかったため、深夜彼女の元へ夜這いをかけ、御所から連れ出したためだとか。
かくして鎌倉を去り、謹慎の日々を過ごしていた朝時でしたが、いつまでも謹慎していられるほど世の中は平和ではありませんでした。