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「鎌倉殿の13人」義経ロスなんて言ってらんない今後も怒涛の展開が…第20回放送「帰ってきた義経」振り返り

「鎌倉殿の13人」義経ロスなんて言ってらんない今後も怒涛の展開が…第20回放送「帰ってきた義経」振り返り

最期まで義経らしく…義時・景時を唸らせた「鎌倉攻略作戦」

平泉を守るためには、もはや義経を討つよりあるまいと決意した泰衡。一方で正室の(演:三浦透子)から襲撃事件の真相を告白された義経。

土佐坊昌俊(演:村上和成)の襲撃は頼朝の企みではなかった……すべて自分の勘違いで取り返しのつかないこと(頼朝追討の宣旨を要求)をしてしまった後悔から、カッとなって里を殺害してしまいました。

我に返っても後の祭り、娘も殺して自刃の覚悟を決めたようです。

最期まで嫉妬深く業の深いキャラでしたが、自刃を覚悟している義経が自分を殺す良心の呵責を和らげようと、あえて告白したのかも知れませんね。

日ごろどれほど不満たらたらであっても、それだけ義経に愛情を持っていたのでしょう。

そして武蔵坊弁慶(演:佳久創)に自刃までの時間を稼がせながら、義経は義時に鎌倉討伐の作戦を披露。

ざっくり言えば「陸路を南下して鎌倉の主力を引きつけ、その間に北上川から太平洋に出て海路を迂回。相模湾から上陸して陸路からの部隊と鎌倉を挟撃する」というもの。

道中に三浦半島の三浦一族に見つかってしまうが、そこは利に敏い義村を味方に引き入れれば問題なし……との事ですが、果たしてそれはどうでしょうか。

陸路はどうとでもなるとして、当時の航海技術で太平洋の外海をまったく発見されず、かつ確実に迂回できるかという問題があります。

当時、日宋貿易や遣唐使など外洋に出るのは命懸け。理屈ではともかく、じゃあ実際に避ける兵数や装備、兵糧なども算段に入れねば実感が湧きません。

とは言え「海から攻め込む」という作戦は鎌倉幕府を滅ぼす時に新田義貞(にった よしさだ)が採っており(西から磯伝いですが)、また鎌倉幕府が滅んだのは元弘3年(1333年)5月22日。

恐らくは令和4年(2022年)5月22日の放送に、これを持って来たかったのでしょう。その趣向をこそ味わうべきであり、野暮を言っちゃいけません。

義経の作戦はその軍才を理解していた梶原景時(演:中村獅童)にももたらされ、最期まで義経らしさを忘れないところに、彼らしさが感じられます。

弁慶の奮戦ぶりを楽しげに眺めるその姿は、ただ大人しく死ななそうな気配も漂わせていました。彼の伝説は、まだ幕を下ろさなそうな気がしてなりませんね。

6ページ目 次週、八重の身に何が?!第21回放送「仏の眼差し」

 

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