新紙幣の顔となる「津田梅子」留学からの帰国後、すっかり日本語を忘れてしまっていた?:2ページ目
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このように、語学に堪能で人望も厚く、教育者としての指名に燃えていた梅子でしたが、留学したのがあまりにも幼いときだったからか、なんと帰国後はすっかり日本語を忘れてしまっていたそうです。
日本に戻ったものの、日本語がわからず、日常生活にも不便が生じてしまい、英語を勉強していた妹に通訳してもらいながら、日本での生活を送っていたのだとか。
梅子の日本語の苦手っぷりを伝えるエピソードが残されています。あるとき梅子が外出中に言葉が通じずに困っているところに、たまたま通りかかった外国人がいました。
そこで英語で話しかけ、日本語の通訳をしてもらったこともあるようです。語学に堪能だった梅子でしたが、どうも日本語だけは最後まで苦手だったようです。
参考
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