【真説 鎌倉殿の13人】上総介広常をもっと知りたい!本名・兵力・誅殺の理由など真相に迫る【その2】:3ページ目
まとめにかえて~上総介広常という男~
上総介広常に謀反という考えはなかったことは間違いないでしょう。もしその気があれば上総に戻り、兵を挙げれば当時の頼朝などあっという間に捻りつぶせたはずです。
歴史学者の野口実氏(京都女子大学名誉教授)は、『吾妻鏡』を詳細に読み込まれて、上総介の人物像について「いささか大風呂敷で露骨な大言壮語を吐くが、根は気の小さい、やさしい性格」と評しています。
広常からすれば、頼朝は若かりし頃ともに戦った源義朝の子であり、坂東武士の夢を叶えてくれる存在でした。上総介はそんな頼朝に対し、主君であるとともに、親愛の情をもって接していたのではないでしょうか。
頼朝に対する上総介の不躾な態度は、決して頼朝を軽んじたものではなく、身近な者に対してのものであったのです。しかし、相手はそんな情が通じるような人間ではなく、冷酷で猜疑心の強い頼朝でした。そこに上総介の悲劇があったのではないでしょうか。
2回にわたりお読みいただきありがとうございました。飾り気がなく、情に厚く、心優しい勇将であった上総介広常。とても魅力的な人物であったように思われます。