武将は首級で競い合う!?戦国時代、徳川家康に仕えて武功を競い合った松平康安&山田正勝のエピソード

皆さんには、ライバルがいますか?互いに競い合うことで切磋琢磨できる関係は、とても大切なものです。

今回は戦国時代、徳川家康(とくがわ いえやす)に仕えて武功を競い合った二人のエピソードを紹介。

一人は松平康安(まつだいら やすやす※。善四郎)、もう一人は山田正勝(やまだ まさかつ。平一郎)。

※松平康安について「やすやす」とは人の名前として不自然すぎるとは思いますが、『寛政重修諸家譜』にはそうルビがふってあります。人名漢字としては康を「みち」と読んで「みちやす」とする方が自然に感じますが……また晩年に出家して法号を道白(どうはく)としており、この道が康を「みち」と読んだヒントになるかも知れません。余談ながら。

さて、彼らはどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。

長篠の合戦にて

時は天正3年(1575年)5月、徳川家康は三河国長篠城(現:愛知県新城市)に攻めて来た武田勝頼(たけだ かつより)の軍勢を迎え撃ちました。後世に言う長篠の合戦です。

善四郎は誰よりも真っ先駆けて敵中へ殴り込み、大いに暴れ回って甲首(かぶとくび。兜をかぶっている≒相応に名が高い者の首級)を一つ持って来ました。

「おぉ、善四郎が一番首か?でかしたぞ!」

さっそく首実検(くびじっけん。誰の首級かを検める評価査定)を受けていると、遅れて平一郎が首級を持って来ます。

善四郎は笑って言いました。

「やい平一郎よ、そなたは日ごろ『武功一等』『斬込一番』など大法螺ばかり吹いておるくせに、首級が遅れたのはどうしたことか」

からかわれた平一郎は、とっさに嘘を吐(つ)いてごまかします。

「う、うるせぇ。わしの方が早かったわい。最初の首級はとっくに検(あらた)め、これは二つ目の首級じゃ」

声色から嘘は察しがついたものの、それを追及してもあまりカッコよくありません。そこで善四郎は「ちょっと待ってろ」とその場を立つと、再び敵中へと殴り込んでいきました。

「ほれ、これで二つ目じゃ!」

あっという間に善四郎は二つ目の首級を持って帰ると、平一郎はぐうの音も出ません。その様子に家康は「勝負あり」と感心したということです。

「康安先手にすゝみ、甲首一級をうち取て実験に備へ、山田平一郎正勝をくれて首をとり来るを見て、日頃の大言にも似ず、なぞをそかりしといふ。正勝いつはりて、我汝よりさきにえたる首とく実験に備へたり。これは二たびぞとこたふ。康安きゝもあへず、我汝にまくべきやといひざま、乗出して敵陣にはせいり、また首とりて来りければ、東照宮御感あり」

※『寛政重修諸家譜』巻第二十六より

3ページ目 遠目坂の合戦にて

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了