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【鎌倉殿の13人】全員登場して欲しい!木曽義仲(演: 青木 崇高)と共に活躍した「義仲四天王」を紹介

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樋口兼光(ひぐち かねみつ)

通称は次郎。生年不詳、兼平と巴御前の兄に当たります(巴御前を兼光の娘とする説も)。こちらも義仲とは乳兄弟です。

基本的に上洛までは義仲たちと同じ行動ですが、義仲が平家討伐のため京都を離れると後白河法皇を監視するため留守を任されるなど、信頼の篤さと実力がうかがえます。

寿永3年(1184年)1月、義仲に叛旗を翻した叔父の源行家(演:杉本哲太)らを討伐するよう命じられました。

500騎を率いて京都を離れていたところ、義仲の討死を知った兼光は弔い合戦を挑もうとしますが、親類の説得により武装解除の上で降伏します。

1月26日に検非違使へ身柄を引き渡された兼光を助命するよう親類から嘆願があり、義経もそれを朝廷に上奏しましたが、許されず2月2日に斬首されてしまいました。

樋口次郎兼光梟首。澁谷庄司重國奉之。仰郎從平太男。而斬損之間。子息澁谷次郎高重斬之。但去月廿日合戰之時依被疵。爲片手打云々。此兼光者。与武藏國兒玉之輩。爲親昵之間。彼等募勳功之賞。可賜兼光命之旨。申請之處。源九郎主雖被奏聞事由。依罪科不輕。遂以無有免許云々。

※『吾妻鏡』寿永3年(1184年)2月2日条

「死ぬも生きるも武門の習い。今さら命は惜しまぬが、せめて我が首級を主と並べていただきたい」

武士の情けで願いはその聞き届けられ、兼光の首級は義仲・兼平らと再会を果たしたのでした。

根井行親(ねのい ゆきちか)

通称は四郎、または大弥太(おおやた。小弥太とも)。父は望月国重(もちづき くにしげ)、同族の海野幸親(うんの ゆきちか)と同一人物と見られることもあるようです。

生年は不詳ながら保元元年(1156年)に起こった保元の乱では頼朝の父・源義朝(よしとも)に従軍。同一人物とされる海野幸親は永治2年(1142年)生まれとのことで、もしそうであれば当時15歳の初陣でしょうか。

義仲の挙兵に従って各地を転戦、上洛後に鎌倉からの討伐軍を宇治川で迎え撃つも敗北。一歩も退くことなく討死しました。

寿永3年(1184年)1月26日、義仲らと共に梟首(きょうしゅ。さらし首)とされます。

3ページ目 楯親忠(たて ちかただ)

 

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