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抗議の手段は「切腹」!加賀藩主・前田綱紀の娘・節姫(せつひめ)の壮絶すぎる最期

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節姫はどうして自害に至ったのか?

妻である節姫が抗議し自害する、というとその夫はどれほどの人物なのかと思われると思いますが、上記の通り賢人と呼ばれる人物。しっかりと藩政改革を行い、順風満帆に思えたそのとき、事件は起こります。

ときは享保3年(1718年)、大規模な農民一揆が勃発し、どうすることもできなくなってしまった彼は、自暴自棄に陥ります。

賢人とも呼ばれた性格だったからか、その衝撃は大きかったのでしょう。そこから彼は人が変わってしまい、遊びに走ってしまいました。

あるとき、彼は吉原から遊女2人を愛妾にしようとします。さらに、国許に帰る際に遊女と蔭間を同伴しようとし、これに節姫は激怒。諫めても変わらない夫に彼女は我慢ならなかったのでしょう。

彼女は夫に抗議を示す形で切腹、自害します。このことを知った夫は愛妾を遠ざけ、節姫を厚く弔ったといいます。なお、彼女の死は「急病死」と届けられ、改易や減封を逃れています。

いかがでしたか?

歴史に名を残す女性は少なくありませんが、節姫のような最期を迎えた人物はそれほどいないのではないでしょうか。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

 

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