始皇帝の生まれ変わり?神の中の神と讃えられた秦河勝のエピソードを紹介
古代日本の伝説的政治家・聖徳太子(しょうとくたいし)の片腕として文武両道の活躍を見せた秦河勝(はたの かわかつ)。
秦という姓の通り、中国大陸から渡来してきた一族なのですが、その名づけ親は欽明天皇(きんめいてんのう。第29代)だという伝承があるそうです。
一体どういうことなのか、今回はそれを調べて紹介したいと思います。
始皇帝の生まれ変わり?奔流から拾われた奇跡の赤子
今は昔、大和国(現:奈良県)の初瀬川(はつせがわ)が氾濫し、大神神社(おおみわじんじゃ。現:桜井市)の前に一人の赤ん坊が流れ着いたそうな。
「可哀想に、両親はさぞや嘆き悲しんでいるだろう……」
「いや、もしかしたら何かのご神意やも知れぬ……」
という訳で、その子を朝廷へ連れて行ったところ、欽明天皇がこんなことを言いました。
「そう言えば、前にこんな夢を見た……」
夢によれば、欽明天皇の前に一人の童子が現れて「吾は秦(しん)の始皇帝(しこうてい。嬴政)の再誕(生まれ変わり)なり、縁有りてこの国に生まれたり」と言ったのだとか。
「もしかしたら、その子がそうなのかも知れない」
いやいやまさか……と誰もが思いましたが、それにしても荒れ狂う初瀬川の奔流にただ一人投げ出された赤ん坊が、傷一つ負わずにここまで流れ着いたというのは、奇跡と言うにはあまりにも不思議です。
やはりそうなのだ……この子には秦(はだ)の姓(かばね)が授けられ、また川の氾濫にも負けなかったことから、河勝と名づけられたのでした。