秀吉の「関白」の位は大したことがなかった!?歴史上の“天下人”たちと朝廷とのビミョーな関係:2ページ目
「官位」という有名無実の肩書き
朝廷は手続きにうるさい組織ですが、裏を返せば手続きさえ整っていれば、後はお役所仕事で通ってしまいます。晴れて関白の地位を手に入れた秀吉は、家康に大納言の地位を与えて、上下関係を確立させます。
こうすることで、傍目にも、家康よりも秀吉が偉いかのような状況ができあがります。こうして彼は、実力では勝てない徳川家康を形式上従属させることにしたのです。
では、関白の地位を手に入れたから秀吉に何かできるのかというと……特に何もありません。
関白と言えば「亭主関白」なんて言うくらいですから何でもできる権力を持っているようですが、だからと言ってやること・やれることがあるわけではないのです。
こうした実態は、いわゆる秀次事件でも明らかです。秀吉は、後継ぎと目していた息子が亡くなるとガッカリして関白職を甥の秀次に譲ってしまいました。ところが秀頼が生まれると、「やっぱりあの話はなしで」とばかりに秀次は殺されてしまいます。官位も何もあったもんじゃありません。
またこうしたことは秀吉に限ったことではありません。
信長もいわゆる三職推認問題で、朝廷から提案された関白か太政大臣か将軍のどれを選ぶつもりだったのかが謎として残っていますが、「本当はどうでもよかったのではないか」という説もあります。実際、彼は一度右大臣に就いたもののすぐ辞めたという経歴があります。