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自慢できるコトバの語源 知ってますか?「糸コンニャク」と「白滝」の違い。その由来と江戸時代に起きたコンニャク革命とは

知ってますか?「糸コンニャク」と「白滝」の違い。その由来と江戸時代に起きたコンニャク革命とは

江戸時代の「コンニャク革命」

糸コンニャクと白滝は、どちらも「コンニャクを細長く加工したもの」です。

では、材料であるコンニャクは、いつ頃から食べられるようになったのでしょうか。これは縄文時代に中国から伝わってきたとか、仏教が伝来したあたりのタイミングで輸入されてきたとか、いくつかの説があります。でも証拠はありません。

国内の文献で初めてコンニャクのことが紹介されたのは、平安時代の承平年間(931~938)に作られた『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』です。当時はコンニャクに「古邇夜久」という和名があてがわれており、中国で3世紀に詠まれた詩を引用しながら、「蒟蒻(コンニャク)」の作り方と食べ方を紹介しています。

さて日本では、鎌倉時代にはお坊さんの精進料理として食べられるようになり、仏教が庶民に普及するのとあわせて広まっていきました。

ただ、庶民にも広まったとはいえ、コンニャクはもともとは薬として食べられていたようです。食物繊維を多く含む食べ物なので、整腸剤として用いられたのです。江戸時代には、1712(正徳2)年成立の百科事典『和漢三才図会』でコンニャクの効果が記されています。

 

薬ということは、普段の生活ではあまり食べないということです。それはなぜかというと、原材料のコンニャク芋の扱いにくさのせいだったと考えられます。コンニャク芋は寒さに弱く、日持ちしません。しかも素手で触れば肌が荒れることもありました。

ところがこの欠点を一挙に解決する方法が見つかり、コンニャクは一躍庶民の食べ物として脚光を浴びるようになります。現在の茨城県常陸大宮市にあたる、常陸久慈郡諸の藤右衛門(とうえもん、1745~1825)という農民が、「コンニャクを砕いて粉にする」というアイデアを思い付いたのです。

彼はこれを、コンニャク芋の切り口が白く乾燥しているのを見て閃いたそうです。そこで、コンニャク芋を輪切りにして乾燥させ、砕いて粉にするというアイデアをさっそく実践したのでした。

粉にすれば、生と比べた場合、同じ重量でも約10倍は濃縮した状態で長期間の保存ができます。また生のコンニャク芋を扱う機会も減りますし、丸ごとでは重いコンニャク芋も粉なら楽に運搬できます。

3ページ目 そして「糸コンニャク」「白滝」が誕生

 

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