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大阪都構想は幕末から?維新の元勲・大久保利通が計画していた幻の「大阪遷都」

大阪都構想は幕末から?維新の元勲・大久保利通が計画していた幻の「大阪遷都」

大阪よりも江戸の方がふさわしいのはなぜでしょう?その理由は、おおむね以下の通り。

一、瀬戸内海は外洋航行できる大型船舶の出入りに不向き。一方の江戸(東京湾)は国際的な良港として発展できるポテンシャルを持っている。

一、江戸城を皇居に転用できるほか、諸藩の邸宅なども多く、これらが政府施設として活用できるほか、防火のため区画を広くとっているため、都市の開発・整備がしやすい。

一、何よりロシア帝国の南下を防ぐ上で蝦夷地の開拓が急務であり、地政学的に有利な江戸を押さえておくべき。また、抵抗している東国諸藩を抑える上でも有利。

「……とは言え、京都もまた日本国の要として重要な場所にござれば、江戸へ遷都とはなさらず、奠都とされるがよろしいかと」

奠都(てんと)とは、完全の都を移し、元の都を廃止してしまう遷都と異なり、江戸「も都である」と定めることを言います(解釈には諸説あり)。

「うむ……ならば東にも新たな都を定め、東西の都をもって日本国じゅう皇威をあまねくゆきわたらせよ」

かくして江戸への奠都が決定、同年5月には江戸が「東京(東京府)」と改称。以来日本国には、東京と京都で二つの首都が存続するのでした(とりあえず、名目上は)。

終わりに

よく京都の方が「東京は首都ではない。なぜなら遷都の詔勅が発せられていないから」というローカルジョークを飛ばすことがあります。

確かに遷都の詔勅は発せられていませんが、東京もまた日本国の首都であり、東京が首都であることを前提とした法律が多く施行されているなど、名実ともに日本の首都となっています。

また、京都の方が「はよ天皇はんお返し(返しなさい)っ!」とこれまたジョークをとばしますが、返す返さぬなど不敬なこと、私ども野蛮な東夷(あづまゑびす。東国人に対する蔑称)とて、思いも寄りません。

そもそも都(みやこ)とは宮処(みやこ)すなわち「天皇陛下はじめ皇族がたのおわす=皇居のあるところ」……それをただ目先の繁閑をもって、首都だの何だのという議論は、実にナンセンスではないでしょうか。

しかし、もし大久保利通の目論見が成功して大阪都が実現していたら、日本の歴史がどのように変わっていったのか、想像してみると楽しいですね。

※参考文献:

  • 勝田政治『大久保利通と東アジア 国家構想と外交戦略』吉川弘文館、2016年2月
  • 佐々木克『志士と官僚 明治を「創業」した人びと』 講談社学術文庫、2000年1月
 

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