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将軍を人質…からの天皇誘拐!?「慶安の変」〜 あまりにも大胆すぎた江戸時代の幕府転覆計画

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慶安の変(けいあんのへん)とは?

由井正雪は、3代将軍徳川家光が亡くなり、幼い家綱が跡を継ぐタイミングを狙います。

計画は、槍の達人であった丸橋忠弥が浪人を率いて幕府の火薬庫を爆発させたあと、家綱を人質に取ると同時に、由井正雪が京都で天皇を連れ去る、というもの。

かなり大胆な計画ですが、実際は未遂に。彼の計画は内部の密告により幕府に知られており、丸橋忠弥は捕まって死罪に、由井正雪は駿府で捕まる前に自殺しています。

慶安の変(けいあんのへん)の事後

失敗に終わった慶安の変ですが、この事件のあと、家綱を支える大老の酒井忠勝をはじめとする重臣たちは大量の浪人が発生することを防ぐため、お家断絶の原因となっていた末期養子の禁止を緩和しています。

これにより、簡単に大名が取り潰されてしまうことを減らそうとしたのです。また、その後はこれまでの武断政治から、法律や学問で世の中を治める文治政治へ移行することになりました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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