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そうだったの?江戸時代 江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い

江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い

「岡場所」とは

「吉原」がソープランドなら、「岡場所」はリーズナブルな「デリヘル」や「ヘルス」といったところでしょう。飲み屋に例えるなら、通いやすい価格の「キャバクラ」や「ガールズバー」です。

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「岡場所」は、多いときでは江戸市中に70か所ほどもあったと言われてます。

幕府非公認だったため、幕府に取り締まられて潰されては、いつの間にかまた復活するということを繰り返していたようです。

どんな客が通っていたのか

「岡場所」に通っていた客のほとんどが、「吉原に行くお金がないけれど、女性は抱きたい」という庶民たちでした。

ただ、リーズナブルなその価格から、吉原に通っていた客も通うことが増えたようです。

どんな遊女がいたのか

岡場所で働く遊女は「子供」と呼ばれていましたが、本当の子供ではなく、多くの女性が20代半ば過ぎでした。

夫や子供がいる女性も多かったようです。

幕末から明治中期にかけて活躍した浮世絵師「月岡芳年」は、深川にあった岡場所にておつまみと酒を運ぶ姿を描いています。

このことから、岡場所の遊女のなかには、給仕や雑用をこなしていた女性(飯盛女)もいたことがわかりますね。

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必要なお金

現代のお金で約1,000円~1万4,000円ほどだったようです。

年齢が高くなるなど需要がなくなれば値段が安くなり、若くて人気のある遊女は値段も高かったという点は、「吉原」や現代とも同じと言えます。

「岡場所」での遊びかた

男性に支払ってもらえる金額が少なかったため、岡場所の遊女たちは、1人でも多くの客を取る必要がありました。

また、夢や幻想よりも欲望を満たしたいという男性が多かったようで、岡場所は、「さっさと性欲を満たして帰る場所」だったようです。

3ページ目 現代の性風俗との違い

 

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