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弥生時代、日本が世界史デビュー!記録の断片が醸し出す古代ロマン

弥生時代、日本が世界史デビュー!記録の断片が醸し出す古代ロマン

19文字で記録された「倭」

弥生時代といえば、日本列島で稲作が浸透し始めたのとあわせて戦乱などが起きるようになった時代として知られています。

実際、弥生時代中期頃の遺跡からは、戦乱の痕跡を示す出土品が多く発掘されています。佐賀県の吉野ヶ里遺跡、奈良県の唐古・鍵遺跡などなど……。

また、周囲に水堀をめぐらせた大規模な環濠集落も登場しました。こうした集落の登場は「縄張り意識」を生み出し、それが戦乱にもつながっていったのでしょう。

 

こうした集落の中でも、より強大なものは周辺の集落を従えるようになったと考えられています。こうして集落はひとつの政治的なシステムをもった強大な組織となっていき、その最たるものが「クニ」と呼ばれるようになったわけです。

しかし、日本国内ではこの時代の記録は残っていません。よって、小さな「集落」が「クニ」となっていった経緯は想像するしかありません。

とはいえ、中国の前漢王朝の歴史書『漢書』の一部である『漢書』地理志にはわずかに記述されています。それが以下の文章です。

「楽浪海中有倭人、分為百余国、以歳時来献見云。」

その文字数たるや、たったの19文字。それでも貴重な記録です。この19文字の文章によって、“日本”(と後に呼ばれるクニ)はいわば世界史デビューを飾るのです。

どうやら当時の日本は全体をひっくるめて「倭(わ)」と呼ばれており、百あまりの小さな国々に分かれていたようです。

漫画『ONE PIECEで「ワノ国」という国名が登場しますが、あのモデルは「倭」でしょう。

当時の「倭」は、定期的に中国へ貢物をしていたようです。

より厳密に言えば、当時の中国は「前漢」。そして「倭」は、その前漢の領土である楽浪郡へ貢物をしていました。ただ具体的に「倭」のどこの地域の誰が貢物をしていたのかは不明です。

2ページ目 『後漢書』東夷伝でもっと詳しく…

 

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