弥生時代、日本が世界史デビュー!記録の断片が醸し出す古代ロマン:2ページ目
『後漢書』東夷伝ではもっと詳しく…
次に、日本は後漢王朝の歴史書の一部である『後漢書』東夷伝に登場します。『後漢書』東夷伝は、5世紀の中国(宋)で范曄(はんよう)という人物が書いた歴史書です。その文章がこちら。
「建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
紀元57年に「倭」の「奴国」の王の使者が後漢の都に赴いているそうです。そして後漢の光武帝から「印綬(いんじゅ)」という印鑑のセットを授かりました。
この印綬が、福岡県の志賀島から出土した「漢委奴国王」と記されたあの有名な金印だとされています。
『後漢書』東夷伝には、その50年後の出来事も書かれています。紀元107年に「倭」の「国王」の「帥升(すいしょう/ししょう)」という人物が「生ロ(せいこう)」160人を後漢の皇帝に献上したそうです。その文章は次の通り。
「安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見」
彼らが、50年前に印綬を授かった「奴国」と関わりがあるかどうかは不明です。
ちなみに、ここで献上したという「生ロ」は「奴隷」だったと推測されています。人権意識の発達した現代から見ると、「えぇ……」という感じですね。
それでもこれは貴重な記録です。しかもこの「帥升」という人物は、世界史に初めて登場した「名前を持つ日本人」にあたるわけです。
『後漢書』東夷伝によると、その後日本では争乱が起きたそうです。これも次のような記述から窺い知れます。
「桓靈間倭國大亂 更相攻伐歴年無主」