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大晦日・お正月・節分・お盆をつらぬく日本文化の「根っこ」とは?【前編】

大晦日・お正月・節分・お盆をつらぬく日本文化の「根っこ」とは?【前編】

「節分の豆まき」も大晦日とルーツは同じ

節分の豆まきと言えば、鬼のお面をつけた人に豆をぶつけたり、部屋に豆をまいたり歳の数だけそれを食べたり……というイベントが一番に思い浮かびますが、あれはもともとは大晦日の行事でした。そして、そのルーツは千年以上前の中国に求めることができます。

中国では、唐の時代以降に、四季の変わり目ごとに邪霊や悪鬼が災いをもたらすと信じられるようになりました。それを追い払う宗教儀礼が追儺(ついな)の儀式という形で日本に伝わりました。

これは、日本では文武天皇の頃から行われたようです。『続日本紀』には、706(慶雲3)年に疫病が流行して多くの百姓が亡くなったため、追儺の儀礼を行ったと記されているそうです。これ以降、宮廷では毎年大晦日に実施されるようになりました。こうした儀式の様子は『蜻蛉日記』にも記されています。

この追儺の儀式が、節分の豆まきの原型です。大晦日のケガレ払いも、節分の豆まきも、もともとは同じ根っこから生じたものだったのです。

追儺の儀式が節分の夜の行事となったのは、平安時代以降のことです。

なぜそうなったのかというと、季節の変わり目において生命が危機的な状況に晒される点が、大晦日も節分も同じだと考えられたからです。

節分の時期は季節の分かれ目でまだまだ寒く、体調を崩しやすいですよね。ちょっとした風邪が大病につながり、深刻な事態に陥ることもあります。ですから、追儺の儀式をこの時期にも行うようになったのでしょう。それが民間にも広まっていったのだと思われます。

節分の豆まきでは「鬼は外、福は内」というかけ声が定番ですが、もともとは「鬼」という言葉も「隠(オン)」に語源があり、病や災害などの不幸を表していました。人々は、大晦日のみならず節分の時期にも、病魔を鬼と見立てて追い払うようになったのです。

ちなみに、追儺の儀式そのものは平安時代から存在すると書きましたが、鬼を追い払うために豆をまくようになったのは室町時代からだそうです。なぜ豆なのかというと、「豆」は「魔滅(マメ)」だからです。駄洒落ですね。言霊の力を信じていた日本人ならではのおまじないです。

また、神事にも使われていた「五穀」(米、麦、稗、粟、豆)のひとつである豆は、農耕民族である日本人の生活に欠かせないものでした。これには米と並んで特に神聖な力が宿っていると考えられていたのです。

さて、以上のことから、大晦日という日が、日本人にとっては邪気やケガレなどの悪いものを祓うための節目の日だったことが分かると思います。そこに底流している日本人の精神は、節分の時期にまで拡がりを持つものでした。

【後編】では、大晦日・節分に続いて、「お正月」のルーツについてさらに詳しく説明したいと思います。

【後編】はこちら

 

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