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婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【後編】

婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【後編】

戦国時代において巧みな戦術を駆使して戦ったとされる軍師「竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)」。【後編】では秀吉の家臣となった後の逸話をご紹介する。

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婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【前編】

日本史上「軍師(参謀)」として活躍した人物はさほど多くない。戦国時代に活躍した武将「竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)」は軍師としても知られる人物だ。半兵衛には様々な逸話が後世に伝わっている。…

婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【中編】

戦国時代。斉藤家家臣を経て秀吉の元で活躍した軍師「竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)」。わずか36年の生涯で半兵衛が残した逸話は多い。【中編】では現代に伝わっているエピソードをご紹介する。…

調略活動による功績

半兵衛は秀吉の元で与力として尽力したという。1570年前後から近隣諸国による信長包囲網が本格化すると、一時的に近江の浅井家に身を置いていた経験から調略活動で成果を上げた。

中でも、近江家の家老「樋口直房」は近江時代の半兵衛と親交があったとされ、半兵衛の調略によって織田方に寝返っている。

黒田官兵衛との絆

1578年。信長が重用していた家臣「荒木村重」が反旗を翻し、居城である有岡城に籠城するという事件が起こる(有岡城の戦い)。信長は村重と親しかった「黒田孝高(官兵衛)」を使者として説得を試みるが、村重は官兵衛を監禁し翻意を拒絶する。

監禁の事実を知らない信長は、官兵衛の翻意を疑い人質としていた息子「松寿丸」の処刑を命じるが、半兵衛は機転によって松寿丸を密かに匿った。

救出された官兵衛は半兵衛に匿われていた松寿丸と再会。半兵衛がすでに他界していることを知った官兵衛は、竹中家の家紋を愛用し、半兵衛の息子「重門(しげかど)」の加冠を務めるなど、半兵衛に対する感謝の意を示したという。

この2人は共に秀吉の元で軍師(参謀)として活躍したことから、「両兵衛(りょうべえ)」と称されている。

2ページ目 容姿や性格の特徴

 

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