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日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午後3時から午後5時頃】:3ページ目
遊女の貴重な自由時間
午後4時頃になると、吉原の昼見世は一旦おしまいです。これから2時間くらいは自由時間になりこの間に食事を済ませます。
上掲の絵では自由時間を過ごす遊女たちの様子を描いています。廊下では禿と振袖新造が子供らしい様子で遊んでいます。右奥では遊女が三味線の稽古をしています。芸を磨くことは遊女として位を上げるのに重要なことでした。
その左となりにいる遊女は“ねずみ”のような小動物を手のひらに包んで和んでいます。絵の左側では、遊女が店で働く女性に何かしら話しかけています。
一日中、ほとんど休みなく働く遊女たちの大切な休憩時間です。
横丁を流れる三味線の音
歌舞伎やお座敷で聴く三味線は、江戸庶民にとって高価な楽器ではありますが、とても馴染みのあるものでした。そこで覚えたての小曲をすぐに弾くことが出来るという理由で、端唄がもてはやされるようになりました。
ある程度のお金をもつ男性達は、さらりと三味線を鳴らして端唄の一つも歌える方が“粋”だとばかりに、三味線の稽古をすることが流行しました。
この絵の鴨居に「かつぶし たくさん お師匠さんへ」「せいろう 百荷 お師匠さんへ」という字が書いた張り紙があります。
弟子たち皆で師匠の生活の面倒を見たということから、こういう目録を張り出していたのです。
仕事の終わった者から、二人三人と旦那衆は稽古所に集まり、三味線の音色が流れていたのでした。
歌舞伎芝居がはねた後の楽しみ
午後5時頃、江戸の町が暗くなる頃には歌舞伎芝居も終わり、人々は芝居茶屋に寄って飲食を楽しみ帰途につきました。
またそれとは別に、芝居好きの人たちが三々五々集まって、かけそばなど食べながら歌舞伎の筋などをあれこれと評論しあうのもまた楽しみでした。そこに芝居関係者の人も入り込み、客の評判を聞いて芝居の訂正をすることもありました。これがこの絵のタイトルとなっている「風聞きゝ」です。
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