引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その3】:2ページ目
大津皇子の逮捕と無念の自死
大和に戻った大津皇子は、即座に逮捕されます。同時に、連座者30余人も捕えられました。
この事態に対して、鵜野皇后は即座に大津に「死」を命じました。大津は捕えられた翌日、24歳という若さで自決して果てたのです。
「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」(万葉集 巻3-416)
(訳:磐余の池に鳴いている鴨を見るのも今日限りと、私は雲の彼方に去っていくのだろうか)
大津皇子が死を賜った時、涙を流しながら詠んだという歌です。豪胆といわれた大津皇子が涙を流した理由……
志なかばにこの世を去らねばならないという無念さゆえでしょう。
その無念さとは、謀反に失敗したことか、それとも父天武の遺志を守ることができなかったことなのか。
自由奔放で、人懐っこく、おおらかな性格で知られた大津皇子。彼の周囲には多くの人がいたのに間違いありません。しかしながら、そうした人々の思惑が複雑に交差し絡み合い、大津の悲劇に繋がっていったのではないでしょうか。