引き裂かれた姉弟愛…。飛鳥時代に生きた姉・大伯皇女と弟・大津皇子の悲劇 【その3】:3ページ目
大伯皇女の心の叫びが伝わってくる歌
父親である天武天皇の葬送が始まったというのに、危険を冒してまですがるような思いで自分を訪ねてきた弟・大津皇子。その弟が、大和に帰るときに大伯皇女が詠んだ歌が『万葉集』に収録されています。
「二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君か ひとり越ゆらむ」
(訳:二人で行けども行き過ぎにくい秋山を、どうやって弟の大津皇子は独りで越えているだろうか)
大伯の歌から読み取れるのは、謀反であれ、忠誠であれ、大津の将来に困難しか見えないことです。弟の身を案じる心の叫びが、ひしひしと伝わってくるようです。
大和帰京時に詠んだ2首の絶唱歌
大津皇子自決の1ヶ月後、大伯皇女は斎王の任を解かれ、大和に戻ります。この解任劇には、やはり大津謀反の影響が色濃く感じられるのです。
大伯が大和に戻った時、最愛の弟はもうすでにこの世にはいませんでした。亡き弟を詠んだ歌は『万葉集』の中でも、絶唱として知られています。
伊勢の斎宮より大和に上る時に詠んだ歌。
「見まく欲り 我がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに」(万葉集 巻2-164)
(訳:逢いたいと想う弟の大津皇子ももういないのに、どうしてきてしまったのだろう。無駄に馬を疲れさせに来ただけなのか)
大津皇子の屍が二上山に移葬された時に詠んだ歌2首。
「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む」(万葉集 巻2-164)
(訳:死んだ弟と違ってこの世の人である私は、明日からは弟の埋葬されている二上山を弟だと思って眺めることであろうか)
「磯の上に生ふる 馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに」(万葉集 巻2-166)
(訳:岩のほとりに生える馬酔木を手折ろうとしても、それを見せるべきあなたがいると、世の人の誰も言ってくれないではないか)
幼い頃から二人で生きてきた最愛の弟を失った姉の悲しみがひしひしと伝わってくるようです。