戦国時代、結婚を拒んで壮絶な最期を遂げた悲劇の美女・藤代御前の怨霊伝説【中】:2ページ目
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夫を喪い、極貧生活の藤代御前を、カネと権力で釣ろうとしたが……
「……あぁ、懸念が現実となってしまった……」
藤代御前は夫の死を悲しむ暇もなく家督を継承、女主人として一家を切り盛りすることになりました。
遺された藤代御前の妹や家来たちもよく彼女に従い、力を合わせて盛り立てましたが、「謀叛人」の遺族ということで所領は没収され、糊口をしのぐ極貧生活を強いられます。
そこへ為信がドヤ顔でやって来て、藤代御前に「そなたが側室になれば、一族に不自由ない暮らしをさせてやる」と持ちかけますが、古来「貞婦は二夫に見(まみ)えず」と言い、また愛する夫の仇である為信に嫁ぐなど、絶対に嫌でした。
「……お断り致します」
女なんて、カネと権力で釣ればチョロいもの……せいぜいステイタスか野心の道具くらいにしか考えていなかった為信は、藤代御前にフラれたことで怒り狂います。
「あぁそうかい……こっちが下手に出てやりゃあお高くとまりやがって……覚えておれ、たかが一領主の分際で一国一城の大名を敵に回して、ただで済むと思うなよ!」
完全に悪役っぽい捨て台詞と共に為信が逃げ帰った後、藤代御前は妹や家来たちに謝りました。
「……ごめんなさい。私のワガママで、皆に苦しい思いをさせて……」
「いえ、決してお方様の責にはございませぬ」「そうです。お姉様、あんな方に嫁いではダメ」「これからも共に、どんな艱難辛苦も乗り越えて参りましょうぞ!」
「みんな、ありがとう……」
と言う具合に、ますます結束を固めた藤代一族ですが、このまま引き下がるような為信ではありませんでした。
※参考文献:
青森県文化財保護協会『津軽歴代記類』青森県文化財保護協会、昭和三十四1959年
稲葉克夫『青森県百科事典』東奥日報社、昭和五十六1981年
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