モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【完】:3ページ目
「モンゴル民族、万歳!」英雄バボージャブ、戦場に散華
戦いは、予想以上に長引きました。日本からの支援がないため、物資は現地調達……要するに略奪しかありません(南モンゴルならともかく、満洲に乗り込んで来た異民族に喜んで物資を差し出す人は稀だった筈です)。
いくら戦場の習いとは言え、奪われる側にしてみれば迷惑以外の何物でもなく、バボージャブたちはどんどん支持をなくしていきました。それでも引き返せばこれまでの犠牲がすべて無駄になる訳で、一縷の望みを賭けて進むより他にありませんでした。
かくして8月14日に郭家店(現:吉林省四平市)を占領しましたが、味方は大きな被害を出し、また張作霖は和睦どころかより大軍を率いて奪還に乗り出す姿勢を見せており、バボージャブは進退窮まってしまいます。
「……なぁ。ここは一度、撤退しないか?ウジムチン(現:内モンゴル自治区シリンゴル盟)ならひとまず安全だから、お前の妻子も首都フレーから移って貰った。そこで態勢を立て直すんだ」
説得に来たのは、盟友の川島浪速。日本国としての支援は打ち切られてしまっても、個人的な交流は続いていました。
「今の状態でここに籠城しても、張作霖の大軍に包囲されておしまいだ。お前の志はモンゴル民族の独立そして南北統一であって、満洲のチンピラ(張作霖)に喧嘩を売ることじゃなかった筈だ」
「……やむを得まい」
バボージャブが郭家店を去ったのは9月2日、張作霖の追撃をかわしながら撤退し、1ヶ月ほど右往左往の末、10月初旬に南モンゴルへの入り口である林西(りんせい。現:内モンゴル自治区赤峰市)まで辿り着きました。
ここまで来れば、ウジムチンはあと一息ですが、林西城の軍勢は張作霖に味方する姿勢を示したため、ここを通らねば帰れないバボージャブは林西城に攻めかかります。
「者ども、かかれ!モンゴル騎兵の意地を見せてやれ!生きてウジムチンへ帰るんだ……っ!」
緒戦でこそ勝利したバボージャブ軍ですが、これは敵の罠。勢いに乗ったバボージャブが精鋭300騎を率いて突撃を敢行したところ、伏兵による機関銃掃射を受けてしまいます。
「モンゴル民族、万歳……っ!」
左肩に被弾したバボージャブは、あえなく戦死。時に民国五1916年10月8日、享年41歳でした。