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モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【完】

モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【完】:2ページ目

袁世凱の死により、大陸は混沌の乱世へ

さて、勢力を確保したバボージャブは「民族独立には、満洲・モンゴルの連携が不可欠」と考え、南モンゴル東部から満洲地方の西部にかけて地盤を築くべく、中華民国・ロシアに敵対する馬賊勢力にアプローチします。

「皆で手を携えて、満洲・モンゴルの民族独立を実現しようではないか!」

しかし、満洲馬賊たちは縄張り争いに忙しく、民族の独立・国家建設よりも目先の利権に汲々としてまとまりません。

また、南モンゴルの中でも「民族の独立を主張して多くの血が流れるくらいなら、中華民国の支配下で貧しいなりに安穏と暮らしたい」という意見が蔓延し、あくなき独立闘争を訴えるバボージャブは次第に疎まれるようになっていきました。

手を拱(こまね)いている内に民国五1916年6月、中華民国の大総統・袁世凱(えん せいがい)が亡くなると、中華民国は内部抗争・分裂によって大陸をまとめ切れなくなり、各地の軍閥が割拠する混沌の乱世に突入します。

こうなると、日本としては中華民国が大きな脅威でなくなり、中華民国に対する牽制として満洲・モンゴルを特別に支援する必要がなくなった事から、バボージャブに対する支援を打ち切りにしてしまいました。

「やはりか……大国の連中は、いつだってそうだ!」

大国の都合による支援は、大国の都合によって打ち切られる不安定なもの。覚悟していたバボージャブでしたが、もう後には退けません。バボージャブ率いる勤王師扶国軍はハルハ川から奉天を目指し、満洲馬賊の大親分・張作霖(ちょう さくりん)の攻略に乗り出します。

流石に滅ぼせるとは思っていなかったにせよ、短期決戦で痛打を加えた上で和睦を持ちかけ、モンゴル族が「満洲支配に利用価値がある」とほのめかす事で、満洲・モンゴルそれぞれの独立に協力関係が構築できる可能性に賭けたようです。

張作霖さえ(一時であれ)味方にできれば、満洲の馬賊たちは態度を軟化させる筈……かくして民国五1916年7月下旬、バボージャブたちは張作霖の軍勢と兵火を交えたのでした。

3ページ目 「モンゴル民族、万歳!」英雄バボージャブ、戦場に散華

 

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