実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【四】:3ページ目
御前試合で剣術の腕前を披露
ともあれ会津藩お預かりとして、それなりに体裁も整ってきた壬生浪士組に、松平容保の御前で剣術稽古を披露する機会がやって来ます。
「よぅし、腕が鳴るぜ!試衛館の連中、今日こそギッタギタにしてやろうじゃねぇか!」
「……待て待て平山君。あくまで今回の名目は稽古の披露なのだから、芹沢先生の顔に泥を塗るなよ」
「へへっ、解ってまさぁ……おい又の字、今回はダブルス戦だ。抜かるんじゃねぇぞ!」
「おう!」
近ごろ入隊し、芹沢先生の尊攘思想に感服した佐伯又三郎(さえき またさぶろう)とペアになって、試衛館派の土方歳三、藤堂平助(とうどう へいすけ)と対戦します。
「藤堂は俺が見るから、又の字は土方を抑えろ」
「……承知」
藤堂は年若いけれど北辰一刀流の目録を得ており、土方は天然理心流だが特に免許はなく、実力は藤堂の方が上と読んでの作戦です。
勝負の結果については記録が残されていませんが、これはあくまでも親善試合であり、その目的から禍根を残さぬよう「みんな頑張りました」としたのでしょう。
かくして会津藩のお預かりとして認められつつあった壬生浪士組ですが、その筆頭局長であった芹沢鴨が次第に暴走を始め、水戸派の前途に暗雲が立ち込めるのでした。
※参考文献:
永倉新八『新撰組顛末記』新人物往来社、2009年
箱根紀千也『新選組 水府派の史実捜査―芹澤鴨・新見錦・平間重助』ブイツーソリューション、2016年
流泉小史『新選組剣豪秘話』新人物往来社、1973年