現代でも続いてる?日本史で初めて怨霊となった悲劇の皇族「長屋王」の呪い:2ページ目
家族と共に自害に追い込まれる長屋王
天皇は複数の配偶者を持ち、中でも皇后は特別な存在。しかし、皇后になるには相応しい身分が必要でしたが、藤原氏は皇后を出せるような家柄ではありません。そういった政治のゴタゴタから、「長屋王の変」が起こります。
神亀6年(729年)、下級の官僚によって、「長屋王が妖術によって国家転覆を狙っている」との密告がありました。
長屋王は弁明する機会もなく、家族と共に自害してしまいます。この自害は強要によるものなのか、自ら進んで実行したのかは分かっていません。
この事件を「長屋王の変」と呼びます。その後、妹を皇后に立てて権力を持った藤原四兄弟。しかし、藤原四兄弟の栄華は思いのほか早く終わりを迎えます。
怨霊となった長屋王による呪いが渦巻くように
長屋王が自害した後、天平7年(735年)に疫病が流行するようになり、天平9年(737年)には藤原四兄弟が相次いで病気で亡くなったのです。この出来事をきっかけにして、長屋王の祟りではないかと囁かれるように。
天皇は神仏に祈りを捧げ、生き残った長屋王の子女たちに位を与えるなどの措置を行っています。このことからも、祟りが存在すると当時の人たちは信じていたのでしょう。
平安時代に編纂された「続日本紀」という書物には、密告した下級官僚のことを「長屋王を誣告(ぶこく・人を貶める)した人物」と記しています。すでに当時から、長屋王が無実の罪を着せられたことは周知の事実だったようです。
家族共々葬られた長屋王はさぞ無念だったでしょうね。そんな長屋王の呪いは、現代でも続いているという噂があります。