
もはや伝説!戦国時代、弓を片手に93歳まで戦場を駆け抜けた老将・大島光義
60歳で遅咲きの出世
信長に仕えてからは弓大将に命じられ、永禄11年(1568)に100貫の土地を得る出世を果たします。この時光義は60歳を迎える年齢。
第一線から退いても可笑しくない年齢なのにも関わらず、光義は姉川の戦い、坂本合戦で戦功を挙げていきます。
特に坂本合戦では信長から「白いつばなの指物をさして戦場を駆け巡っている様子はまるで雲のようだ。以降は雲八と名乗るように」と言われます。
元は宇八と光義は名乗っていましたが、これ以降雲八と名を改めました。
その後も天正元年(1573)の小谷城の戦い、天正3年(1575)の長篠の戦いで戦功を挙げました。
実は光義は槍にも長けていました。斎藤家旧臣の武藤平弥兵衛から弓を馬鹿にされたことがきっかけで槍術を極めます。
このことにより、槍と弓を比較できたことで弓は大人数で戦う時に適しているとわかり、これ以後は弓を使用するようになりました。