クォーター侍!赤穂浪士の中には何と古代中国の思想家・孟子の末裔がいた!:4ページ目
おっちょこちょいな一面も…
勇猛果敢で血気盛んな唯七ですが、こんなおっちょこちょいな面もありました。
まだ赤穂藩が改易される前のこと、九条関白家から広島浅野家本家にカキツバタが贈られました。
広島浅野家本家はこれをお裾分けしてくれるということで受け取りに唯七が江戸屋敷へ向かいます。しかし、唯七が向かったのは隣の福岡藩黒田家の屋敷でした。
屋敷を通されて「間違えた」とは言えない唯七は「お昼ご飯を食べたい」と言い、その場をやり過ごしました。
黒田家の屋敷を後にした後、唯七は目的通り広島浅野家本家からカキツバタを受け取ります。帰路についた時に火事を知らせる鐘が鳴りました。
火事の場所が赤穂藩の屋敷がある付近だとわかると唯七は血相を変えてカキツバタをムチに馬を走らせます。
屋敷には火事の影響がないのが幸いでしたが、長矩に贈られたカキツバタは花も葉もない状態でした。
これには長矩は苦笑いするしかありませんでした。これが唯七の代表するエピソード「粗忽(そこう)の使者」です。
最後に
赤穂浪士の中でまさか孟子の末裔がいるとは驚きでした。孟子とあって知的なイメージがあるかと思いきやバリバリの武に生きた人間だということがギャップに感じました。
辞世の句を漢詩で残すあたり3世の中国人としての誇りもあったのかなと思ってしまいます。
参考:歴史の謎を探る会『江戸の時代本当にあったウソのような話』